てのひらの風景
珍しくボーっと中庭でひなたぼっこをしているレニを見つけて、アイリスは駆け寄った。
「レ〜ニ！ どうかしたの？ 顔が赤いよ」
「アイリス……。なんだか、暑いんだけど寒いんだ。だからここに来たんだけど、ますます寒くなったような気がするんだ」
白い頬にはいつもよりも赤味がさしている。いつもはどこか緊張感を漂わせてるが、今は視線がふわふわとしていた。
アイリスは首を傾げ、レニの額に手を伸ばした。
「レニ、ちょっとお熱を計らせてね。……わっ、すごい熱！！」
手のひらから伝わる熱は、燃えるように感じた。
「風邪なのかな……レニ、どこか痛いところはない？」
おろおろしながらアイリスは尋ねた。
「……そういえば、昨夜から喉が痛かったと思う。頭痛もしていたような気も……する」
「気がするじゃないよ！ どうしよう……あ、お兄ちゃん！！」
アイリスは大神の姿を見つけ、大声で呼んだ。
「レニ、アイリス、どうかしたのかい？」
大神は不思議そうに近づいた。
「大変なの！ レニ、すごい熱があるんだよ！」
「ええっ、熱が！？ レニ、ちょっとごめん」
そう言うなり、大神はレニの額に自分の額を合わせた。
「……これは、かなり熱が上がっているな。早く休んだ方がいい」
額を離した瞬間、大神は背筋に悪寒を覚えた。
力が入らないのか、もたれてきたレニの身体を支えながら恐る恐る振り返る。
「お〜お〜が〜み〜さ〜〜ん。何してるんですか〜〜？」
その時大神の目には、地を這うようなような声で問うさくらの後ろに鬼子母神の姿が見えたとか見えなかったとか。
「ご、誤解だよ、さくらくん。レニの熱を計っていただけなんだ！」
内心、大きく動揺したが、大神は努めて冷静に返答した。
「え、レニに熱が？」
とたんに心配そうにレニの額に手を伸ばす。基本的に優しい性質なのだ。
「大変、すごい熱！ すぐにお医者様に見せた方がいいですよ」
「その前に早く休ませよう。レニの部屋にはベッドはなかったから……さくらくん、先に医務室に行って準備をしてくれないか？ アイリスはかえでさんに知らせてくれ」
「分かりました！」
「うん！」
さくらとアイリスはすぐに駆け出した。
「レニ、自分で歩けるかい？」
自分に寄りかかったままぐったりしているレニに声を掛けた。
「……………」
レニは無言でなんとか起きようとしたが、力が入らないらしく体重を大神に預けたままだった。
「じゃあ、俺が連れて行くからしっかり掴まっていてくれ」
両腕でレニを抱え上げ、腕を自分の首に絡ませると、大神は早足で医務室に向かった。
身体がふわふわしている。大神に医務室まで運んでもらっている間も、カンナに引っ張って連れてこられた医者の診察を受けている間も、レニには現実感がなく、すべて夢のように思えた。
「ただの風邪で良かったですね」
「でも、注射を打ってもらったけど、熱が下がるまで気を付けた方がいいわね」
マリアとかえでの話し声が聞こえる。
「レニが風邪引くなんて、珍しいでーす。よっぽど強力な菌だったんですね〜〜」
「連日の戦闘の後、すぐに公演だったからな。疲れが溜まってたんじゃねえのか？」
「そうですわね。カンナさんと違ってレニは繊細ですものね」
「なんだと〜〜！？」
「も〜〜、レニは病人なんだから、二人ともケンカしないでよ！」
「……すまねぇ」
「ごめんなさい……」
織り姫にカンナ、すみれにアイリスまでいるようだ。
しかし、どこか遠くで話しているようにしか聞こえない。
「お待っとさん！ 氷嚢持って来たで〜〜」
「……良かった、ちゃんと普通の氷嚢みたいだな……」
「それはどういう意味やの、大神はん？」
「いや、なんでもないよ」
ひんやりとした感触とともに、何かが額の上に乗せられた。
「かえでさん、このままここにレニを寝かせておくのは心配ですね」
「そうやな。いざというとき、近くにいた方がええやろうし」
「ええ、そう思ってさっきベッドを手配したわ。すぐにこちらに運んできてくれるはずよ」
「さっすがかえでさん、気が利くねぇ。ベッドが来たら、あたいが運んでやるよ」
「お部屋の掃除もしておかないといけませんね。あたし、今から片づけてきます！」
「アイリスも手伝うね」
「ええ、お願い、アイリス」
遠ざかる足音が２つ聞こえるが、思考がうまく働かない。
「わたくしはお花でも生けますわ。池坊（いけのぼう）免許所持の腕前をお見せいたしますわ」
「池坊じゃなくて、木偶の坊じゃねぇのか〜？」
「なんですって〜〜？」
「あなたたち、喧嘩なら外でやってちょうだい。さぁ、病人の気が散るといけないわ。私たちは外に出ていましょう」
３人の声が次第に更に遠ざかる。
「ウチは氷嚢の換えを作るわ。この氷嚢、口を締めるゴムがめっちゃ固いんで締めるのに苦労したわ」
「わたしも部屋の片づけを手伝ってきまーす」
「ベッドの搬入を見なきゃいけないから、私も行くわ。後はお願いね、大神くん」
「はい」
紅蘭たちも外に出ていった。
上掛けを掛け直され、レニはふと目をうっすらと開いた。
「レニ、気付いたのかい？」
「……隊長？」
「まだ熱が高いな……もう少し寝ておいで。風邪を引いたときは寝るのが一番だよ」
穏やかに言いながら氷嚢を乗せなおし、髪を軽く撫でてやる。
その感触が気持ちよくて目を閉じているうちに、レニは深い眠りに落ちていった。
次に目を覚ますと、見覚えのある天井と、見慣れないベッドの上に眠っていた。
ふと横を見ると、サイドテーブルの上に花が生けられ、水差しとコップが乗っていた。
視線を巡らせるとカーテンが明るい色のものに変えられ、夕焼けに照らされていた。
軽くノックの音が響き、さくらとアイリスが入ってくる。
「レニ、大丈夫？」
「起きていたのね、レニ。……まだ顔が赤いわね」
持っていたお盆をテーブルの上に置くと、手をレニの額に持っていき、自分の熱と比べる。
「……まだまだ高いわねぇ。お粥とすり下ろしたリンゴを持ってきたんだけど、食べられそう？」
「リンゴはアイリスがすったんだよ！」
「ありがとう……」
さくらに支えてもらって上半身を起こし、お粥の入った器を受け取る。
「熱いから気を付けてね」
「うん」
２人ともニコニコとレニが食べるのを見ていた。
ゆっくりだったが、お粥とすり下ろしリンゴを最後まで食べてから器をさくらに渡した。
「お医者様にお薬をいただいたから、これを飲んでおきましょうね」
「はい、レニ！」
薬を受け取り、それも水で飲み込む。
「さあ、もう少し休んだ方がいいわ。風邪の時はたっぷりの栄養と休養が必要なのよ」
さくらは掛け布団をなおしてやり、ポンと頭を撫でた。
「早くよくなってね、レニ。そうだ、寂しくないようにジャンポールを置いて行くね！」
ジャンポールをレニの隣りに寝かせると、アイリスもレニの頭をポンポンと撫でる。
「ありがとう、さくら、アイリス」
にっこりとレニは礼を言った。
「おやすみ、レニ」
「レニ、おやすみなさい」
２人はそっと出ていった。
意識していなかったが、空腹だったのだろう。満足したのか、うつらうつらレニは眠り始めた。
どれくらい時間がたったのか、誰かが部屋に入ってきた。
細い手が自分の額に触れられる。
「おいすみれ、どうだ？」
「まだ熱が高いようですわね……」
「どれどれ……」
今度はさっきの手よりだいぶ大きな手が額に触れる。
会話は極力小さな声で行われていたが、レニは夢うつつにそれを聞いていた。
「なかなか下がらねぇな。……明日また、様子を見に来るか」
「ええ、そうですわね」
２人の気配が遠ざかり、ドアを開閉する音がゆっくりと響いた。
（すみれにカンナ……心配してくれたんだ……）
嬉しくなって、レニは小さく微笑んだ。
そしてまた眠りに落ちていく。
唐突に誰かの優しい手が、自分の額に触れてきた。続けて少し温度の低い手が触れる。
「まだ熱が引かないようですね、かえでさん」
「そうね……心配だわ。これ以上、熱が上がらないようだからいいけど。湯たんぽを入れておくから、これで汗が出て熱が引くといいわね」
「ええ」
枕元で交わされる小さな会話に、少しだけ意識が上昇する。
布団が持ち上げられ、タオルにくるまれた暖かな物が入ってきた。
「さ、これでいいわ。起きるといけないから、もう行きましょうか。この子は人の気配に敏感だから」
「ええ、そうみたいですね」
「貴女と同じね」
「ふふ……レニと私は境遇が似ていますから」
会話はすぐに扉の音とともに遠ざかっていった。
（マリアに……かえでさん？ ……これなんだろ、あったかい……）
胸のあたりにある湯たんぽを抱え込んだ。
シンとした部屋の中で、レニは何か暖かいものに包まれているような感じがして、再び意識を沈めた。
おずおずと扉が開かれ、誰かがそっと入ってきた。
「レニ、寝ているようですね……。汗をかいたらのどが渇きますから、これを置いていきますねー。ママ直伝のレモネードは、ミントシロップが入っていてとっても美味しいでーす。これを飲んで、早く良くなるんですよ……」
囁くように言うと、織姫はふわりと頭を撫で、入ってきたのと同じようにそっと出ていった。
（織姫……わざわざ作ってきてくれたのかな……）
確かめるために目を開けようとしたが、瞼が持ち上がらなかったのであきらめて眠ることにした。
しばらくたった頃だろうか。また扉がそっと開かれ、誰かが入ってくる。
すっかりぬるくなってしまった氷嚢を取られ、額に手を当てられる。僅かにオイルの匂いがした。
「ん〜、ちょっとは引いたかいな。ま、ウチ特製の氷嚢に変えとくさかい、大丈夫やろ」
小声で呟いたかと思うと、冷たいものが額の上に乗せられた。
「ほな、早く良くなるんやで」
小さな足音を響かせて出ていった。
（……紅蘭？）
ひんやりした感触が気持ちよくて、レニはまた眠り始めた。
ずいぶん時がたったころ、また訪問者が部屋にそっと入ってくる。
首筋と額に手を当てて熱を計り、ホッと吐息をつく。
「………隊長………？」
「あ、起こしちゃったか。ごめん」
レニはゆっくりと首を振った。
「熱はだいぶ引いたようだね。喉は乾いていないかい？」
「うん………」
レニが体を起こすのを、大神は慌てて手伝った。
「織姫が飲み物を作ってくれたみたいだから………」
「へえ、織姫くんが……これかい？」
大神はグラスを手渡した。
「ありがとう」
ゆっくりとグラスの中身を飲み干す。
「もう少し休んだ方がいい。さ、横になって」
レニは大神の手に支えてもらいながら布団にはいる。
「隊長」
「ん、なんだい？」
呼ばれて大神はレニの顔を覗き込んだ。
「いつもならこれくらいのことで体調を崩すことはないのに、自分の健康管理できないなんて悔しいよ……」
「…………」
「でも、それよりもみんなに心配をかけた方が悔しいんだ………」
キュッと唇を噛みしめた。
「レニ………」
「二度とこんなことにならないように、注意する……隊長も見回りの途中だったんだよね。もう大丈夫だから……」
「あのな、レニ」
大神はレニの言葉を遮った。びっくりして、レニは視線を大神に向ける。
「風邪を引くのは寂しいから、誰かに『大丈夫？』って心配して欲しいから引くんだそうだよ。だからこんな時にくらい、甘えていいんだよ。それに、みんなだって迷惑だなんて思ってなんかいないさ」
「……そうなの？」
「ああ……だから、少しぐらいわがまま言ってもいいよ。すみれくん位になるとやりすぎだけどね」
大神は優しい笑顔で茶化した。
思わずレニも微笑み返す。
「じゃあ……しばらく手を握ってて」
「分かった……これでいいかい？」
「うん………」
布団から片手を出し、大神の手を握る。レニはホッとしたように息を吐いた。
「あのね、隊長……みんなの手も温かかったけど、隊長の手が一番温かくて安心できるんだよ……」
「そ、そうかい…？」
内心複雑な心境で大神は答える。
「みんな……優しい……ね…………」
「…………………レニ？」
返る言葉はなく、ただ安らかな寝息が返るだけだった。
「ゆっくりお休み、レニ」
大神は手を布団の中に入れて肩まで引き上げてやると、起こさないように静かに出ていった。
優しいてのひらの感触が、みんなと一緒にいる暖かな風景を思い起こさせ、レニは幸せな気持ちで眠り続けていた。
終