| 霧の迷宮 〜 The maze of mind 〜 |
（１）
ハルモニア神聖国の国境に近い山奥の村に、二人の旅人が足を踏み入れた。
一人は１６、７才くらいの少年だった。頭に布を巻き、使い込まれた棍を携えている。年に似合わない落ち着いた瞳の色に、誰もが目を向けずにはいられない。そんな独特の雰囲気を持つ少年だった。
もう一人は２０代後半くらいの整った顔立ちの青年だった。金髪を無造作に一つに結び、優しげな容貌には似つかわしくない銀の斧を持っている。頬に残る傷跡がやけに印象的だった。
二人は村に１軒しかない小さな宿屋の前に立つと、木の扉を開けた。
「あ〜〜〜〜、セイさんだ！」
「ホントだ。グレミオさんも！ お久しぶりです」
ボブカットにピンクのヘアバンドをつけた少女が目を輝かせて立ち上がる。額に金の輪をつけ、赤い服を着た少年も嬉しそうに席を立った。
セイと呼ばれた少年がわずかに微笑む後ろで、
「エイリくん、ナナミさん、お久しぶりですねぇ」
と、グレミオがにこにこ笑う。
給仕らしき女の子に腕を捕まれたままの髪の長い少年が、エイリに「知り合い？」と目で尋ねる。
「いらっしゃいませ！」
慌てて女の子が少年の手を離し、旅人たちに駆け寄った。彼女の栗色のふわふわした髪が、軽く揺れる。
セイたちが宿に泊まる手続きをしている間にエイリとナナミが長い髪の少年──ジョウイに説明をする。以前より時折話題に出る登場人物たちだったためか、すぐに納得したようだった。
宿の手配を終えたセイたちは、ぶんぶんと腕を振るナナミに促されるままに同じテーブルについた。
「セイさんたちも旅に出てたんですね。あの後、グレッグミンスターまで挨拶に行ったら、クレオさんが教えてくれたの」
「ごめんごめん。戦いが終わったって聞いたから、すぐに旅だったんだよ。もともと長居するつもりはなかったから」
エイリは「どうして？」と尋ねようとしたが、どこか寂しげで悲しげなセイの表情にそのセリフを飲み込んだ。
彼がその右手に宿る真の紋章『ソウルイーター』のため、人となるべく関わらないようにしていることに気付いていたからた。その代わりに、幼なじみの少年を紹介する。
「セイさん、ジョウイです」
「はじめまして」
ジョウイは軽く頭を下げた。
噂に聞いていたトランの英雄は、静かな存在感のある少年だった。ただ、彼にまとわりつく影が自分と同じもののような気がして、内心首を傾げる。
「セイ・マクドールです。話はよくエイリたちから聞いていたよ。こっちはグレミオ。よろしく」
一通り挨拶が終わったのを見計らってグレミオが口を開く。
「エイリさんたちと会うなんて、奇遇ですねぇ。この国を見て回ってるんですか？」
「はい。これから暑くなるから、避暑がてらにこっちを見て回ろうって３人で決めたんです」
ね、とエイリはジョウイとナナミに目を向けて同意を求める。
「首都に行かない限り僕たちの正体はバレないと思いますし」
「なんたって、涼しいもん！ …セイさんたちもこの国の観光めぐり？」
ナナミは大きな目をキラキラ輝かせた。
彼女は、どこかジョウイに似た雰囲気を持つセイが大好きだった。ただし、可愛い弟とジョウイに比べるとかなり”大好き”度が違ったが。ついでに言うとグレミオのシチューも大好きなので、グレミオも”大好き”の範疇に入っていた。……分かりやすい性格である。
「まあね。当てはないけど、いろいろ見て回るつもりだよ」
「じゃあじゃあ、一緒に行きましょ！ ね、エイリもジョウイもいいよね？」
「うん、もちろん！」
即座にエイリは頷いた。
セイはあの戦いの最中、どの立場にも所属しない唯一人のだった。それゆえ、貴重な意見を客観的に言ってくれた。自分にないカリスマを備えた人物として尊敬しているし、憧れてもいた。助けてもらった分、お返しがしたいと思っている。それに、ジョウイにどこか似ていたせいもあるかもしれなかった。
……姉弟してかなり失礼とも言える。しかもセイに向ける好意が二人とも混じりっけなしの純粋なものだったので、さらにある意味タチが悪かった。セイの方もそれが分かっていてこの姉弟にかまってるのだから、それはそれでいいのかもしれない。
一方、ジョウイの方もセイに興味が引かれていたので否やはなかった。確かにリーダーたる魅力を持つ彼が大統領にならなかったのは何故か、聞いてみたい気もしていた。
「そうだね……じゃあ、しばらく同行させてもらおうかな」
「はい、坊ちゃん」
グレミオも人の良い微笑みを浮かべて賛成した。
「お客さん、お客さん！！」
そこへパタパタと先ほどの女の子が戻ってきた。エプロンドレスがよく似合っている。
「お客さん、先にお風呂に入る？ それとも夕食にする？ なんたってお客さんは命の恩人なんだから、サービスしちゃうわよ♪」
頬を赤く染めて少女はジョウイの腕を掴んだ。
「いや、君たちを助けたのは別に僕だけじゃないんだけどね……」
体を後ろに引きながら、ジョウイは引きつった声で反論を試みた。
ジョウイの隣で上機嫌だったエイリの表情が、みるみる険しくなる。それを見たナナミは、やれやれと言うように肩を竦めた。
「お客さん、どっちが先？」
ジョウイの反論をものともせず、少女は身を乗り出して尋ねる。
「えーと……エイリ、ナナミ、どうする？」
困ったジョウイはエイリたちに話を振った。
「別に……どっちでもいいよ」
エイリはぶっきらぼうにそっぽを向く。そんなエイリの様子にジョウイは訝しく思った。
何か気に触ることでもあったのだろうか？
だが、全く心当たりがなかった。
「わたしはお風呂が先の方がいいな。だって、埃まみれなんだもん。早くさっぱりしたいなぁ」
「それじゃ、お風呂を先にお願いするよ」
ジョウイは言いながら少女の腕をさりげなくはずした。
「お風呂ですね。かしこまりましたー！」
少女は元気よく返事をし、バタバタと駆けていった。
やっと少女が離れたのにホッとすると、次にジョウイは何故かむくれているエイリに向き直った。
「エイリ……何を怒っているんだい？」
「別に怒ってなんかいないよ」
眉間に皺を寄せてプイと視線を逸らすさまは、あきらかに怒っているとしか思えない。もしくは、拗ねているとも見える。
「ジョウイ、放っておいて大丈夫だよ。エイリはあのメイって子に嫉妬しているだけなんだからさ」
くすくす笑いながらナナミが教えてくれた。
「あの女の子はメイっていうのですか？ やけにジョウイくんに懐いていましたねぇ」
グレミオが邪気のない笑顔で言う。
「この村に来る手前でね、モンスターに襲われてたメイとその幼なじみのユンって子を助けたの。そしたらどうも、ジョウイったら一目惚れされちゃったらしくってさ。ずーっとジョウイのそばから離れないんだよ。その間中、エイリが不機嫌で不機嫌で……。ジョウイを取られるような気がするんだろうね。ジョウイがモテるのは昔からなのに。ほーんと、子供なんだから！」
「そんなんじゃないよ！」
ほっぺたをつついてくるナナミの指を払って、エイリは憮然とした。
「なんだ、そうだったのか……。大丈夫。そんな顔しなくてもエイリの方がずっと大切だよ？」
ジョウイはくすくす笑ってエイリの頬に手を伸ばし、軽くつまんで引っ張った。
「だから、そんなんじゃないって！」
お返しとばかりにエイリもジョウイの頬を引っ張る。
「えー、どうしてそんなにほっぺたが伸びるの〜〜？ わたしはこんだけしか伸びないのに〜〜！」
自分の頬を引っ張ってみせながら、ナナミは目を丸くした。
ナナミが自分の頬をつまもうとすると身も一緒につまむことになるが、ジョウイの場合は皮だけが伸びていると思われた。
「男女の差じゃないかな？」
エイリの手から逃げつつ、ジョウイは律儀に答えた。
「でも、エイリもあんまり伸びないよ？」
そう言ってエイリのぷにぷにしたほっぺたを突っつく。
「年齢の差じゃないかな……多分」
なるほど、とナナミは納得した。とたんに聞こえたくすくす笑う声に、やっと自分たち以外の人たちがいることを思い出した。
「君たちって……本当に仲が良いね」
セイは目尻に涙をためて笑っていた。グレミオもくすくす笑っている。
ばつが悪そうにしていたエイリたちも、顔を見合わせると声を立てて笑った。
そして明るい笑い声が、静かな宿屋に広がっていった。
「メイ！」
「ユン？ どうしたの、剣なんか持ち出しちゃって。たしか、おじいちゃんの形見だって言ってなかった？」
井戸から水をくんでいる最中だったメイは、桶を地面において少年の出で立ちを改めて見た。
ユンには少し大きいレザーアーマーは以前、戦いに赴いたというユンの父のお古だ。そして片手剣は傭兵をしていたという祖父のものだと聞いたことがあった。たいして剣術を練習していたわけでもないユンには違和感しか感じない。
どうして自分の幼なじみはこんな格好をしているのだろう？
「ほんとに、どうしたの？」
再度たずねる。
それには答えず、少年はきっと顔を上げた。その顔は、何か思い詰めたように堅い。
「メイ。メイはあの髪の長い人が好きなのか？」
みるみるメイは顔を赤くさせる。その様子を見て、ユンは更に表情を堅くさせた。
「好きって……やだ、そんなにはっきり言わないでよ〜〜」
片手で頬を押さえ、照れ隠しにブンブンと手を振る。ユンの表情に気付きもしない。
「どこが好きなんだ？」
「そーねー。あの深い色合いの金の髪とか、宝石みたいな瞳とか、顔立ちも上品で綺麗よね。まるでどこかの王子さまみたい！ それに、あんなに細いのにとっても強いところが素敵。ちょっと影があるところも魅力的よねー」
メイは手を胸の前で組み、うっとりと語った。彼女は自分では気付いていなかったが、真実に近いところを言い当てていた。ジョウイはかつて、ハイランドと呼ばれた国の皇王だったのだから。
「何より、わたしたちの命の恩人だもん。ここにいる間はめいっぱいおもてなしするつもり……。ユン、どうしたの？」
ここにきてようやく彼女はユンの様子がいつもと違うことに気付き、不安そうに彼の顔をのぞき込んだ。
「俺だって……剣さえあれば、あれくらいのモンスターなら倒せるよ」
「……ユン？」
突然、強い口調で話し出した幼なじみの少年に、メイは強い不安を感じる。
いつもちょっとぶっきらぼうだが心根は優しく、自分には甘い幼なじみがどうしてこんなことを言い出したのかメイには見当がつかない。
「今から僕は霧竜山に行くよ。無事に帰ってきたら、俺のことを認めてくれる？」
「認めるって……霧竜山って、どういうこと！？」
メイは混乱していた。
霧竜山は村人が決して近づかないようにしている山だった。一年中霧がかかり視界が利かないため、危険この上ない。そんなところにこの幼なじみは一人で行こうとしている。しかも、どうやら自分のためらしい。「何故」という言葉が頭の中でぐるぐる回った。
「じゃあ、行ってくるから」
ユンはクルリと身を翻し、霧のかかる山へと走る。
「ちょっと、ダメよユン！！ 死んじゃうったら……ユン！！！」
我に返って慌ててユンの後を追いかけたが、とうとう追いつくことはできなかった。
「ユンを助けないと………」
メイは青ざめ、震える体を気力で押さえ、村へと駆けだした。
バタンと大きな音を立てて宿屋の扉が開いた。
「まぁ、メイったらお行儀の悪い」
宿屋の女将が眉を顰めて娘をたしなめる。
「母さん……どうしよう」
ぺたんと娘は床に座り込んだ。
娘の様子がただ事ではないのを見て、女将は急いで娘に近寄る。
「どうしたんだい？」
「ユンが……ユンが、霧竜山に行っちゃったの……」
「なんだって！？」
女将はすぐに顔色を変えた。あの山の恐ろしさは、この村に住んでいる者なら誰もが知っている。
「早くユンを助けなきゃ……ユン、死んじゃうよ……」
「ああ、すぐに村長に言って救助隊を出してもらわないとね」
「ダメよ……村の人たちじゃ、かえってやられちゃう！！」
「だからって放っておけないだろ。さ、立って。村長の家に行くよ」
悲痛に叫ぶ娘を宥め、女将は早く立ち上がるように急き立てた。
メイは涙でぐしょぐしょになりながらも立ち上がる。
二人は急ぎ足で宿屋を出ていった。
「……ねぇ、エイリ。なんか気になるから行ってみない？」
ナナミがそっとエイリの服を引っぱる。
「うん」
エイリたちは女将とメイの後を追って、村長の家へと向かった。
村長の家に行ってみると、村の男たちが議論を交わしている最中だった。
「冗談じゃない！ そんな命を捨てるような真似が出来るもんか！」
「だが、人の命がかかってるんだぞ！」
「ユンは勝手に行ったんだろう？ 俺たちの命まで賭ける必要があるのか？」
……水掛け論はいつまでも終わりそうになかった。
村長は苦い顔で思案している。
「もういい！！」
甲高い怒鳴り声に、ぴたりと男たちは口をつぐんだ。
「こうしている間にもユンは危ない目にあってるかもしれないっていうのに……。もうみんなには頼まない！ わたし一人でもユンを助けに行く！」
「ちょっとメイ、落ち着きなさい！」
「止めないで、母さん！」
「ユンだけでなくメイちゃんにまで何かあったらどうするんだい！？」
メイの母親とユンの母親らしき女性が必死にメイを止めるが、メイは懸命に彼女たちの腕を振りきろうとしていた。
「エイリ、ナナミ」
この様子を見ていたジョウイは、幼なじみたちの名を呼んだ。
二人はジョウイが何を言おうとしているのかすぐに察し、力強く頷いた。
セイとグレミオの方を見ると、「いいよ」と言うようにセイがふんわり微笑んだ。
それに目礼で感謝の意を表し、ジョウイはメイたちに近付いた。
「メイ、霧竜山まではどういけばいい？」
「え……？」
メイは暴れるのをやめ、きょとんとジョウイを見上げた。
「僕たちがユンを探しに行くよ」
「……本当に……？」
穏やかにうなずくジョウイを見て、メイは涙を溢れさせた。
「霧竜山はどこにあるの？」
尋ねられ、メイはエイリの方に顔を向ける。
「この村の西にあります。でもあの山は名前の通り、一年中霧がかかってて危険なんです。だから、わたしが案内します」
「でも、危ないんでしょ？ だめだよ〜〜」
「あの辺りは近くまでなら何度か行ったことがあるし、土地勘のあるものでないとなかなか行き着くのは難しいんです。めったに人が通らないから、道らしいものもないし。……お願い、連れていってください」
エイリもジョウイもナナミも躊躇した。危険な場所に素人を連れていくのはかえって足手まといだからだ。
「行こう」
棍を携え、セイが促した。
「早くしないと危ないんだろう？ ただし……自分の身は自分で守るつもりで」
それくらいの覚悟がなければ連れていけないと言外に言われたが、メイはひるまずに頷いた。
セイの言うことは当然のことなのだ。
ジョウイたちは危険を承知でユンを助けに行ってくれる。それ以上を望むのは高慢というものだ。しかも、自分が行くことで更に危険は増すことになる。覚悟してかからねばならない。
「さあ。出発しましょう」
グレミオが明るく声をかける。
エイリたちはメイを同行者に加え、霧竜山へと急いだ。
霧より不意に現れるモンスターたちを倒しながら、エイリたちは山の中へ入っていった。
メイは恐怖に震えながらも、しっかりとした足取りでついてきた。ユンを助けたい一心で恐怖を押さえ込んでいるようだ。
どれだけ進んだろうか。少しだけ視界が開けた場所に出た。奥の方には岩肌が見え、ぽっかりと洞窟が口を開けていた。
その前に立ちはだかるかのように、身体を起こしている大きなムカデがいた。そのムカデの前に、倒れている少年の姿が見える。
「ユン！！！！」
幼なじみの姿を見つけ、メイが悲鳴を上げた。
「メイ、君は後ろに下がってるんだ！ エイリ、ナナミ、セイさん、グレミオさん！！」
ジョウイの呼びかけに、すぐさま全員応える。素早く陣形を作りながら大ムカデの前に飛び出した。
「ハッ！」
大ムカデの目をユンから逸らすため、ジョウイが棍で一撃を浴びせた。すかさずセイがそれに続く。
「ナナミ！」
「オッケー！」
エイリとナナミは同時に飛び出し、強烈な連続攻撃を繰り出した。姉弟だけあって、ぴったり息が合っている。
大ムカデは上体を揺らめかせ、それでもかろうじて頭を上げている。
仕上げにグレミオが銀の斧を大ムカデの頭に叩き込んだ。
大きな音を響かせて、巨大な体が地に倒れる。
完全に動かなくなったのを確認してから、ジョウイたちはユンの側へ走った。
「ユン、ユン！！」
意識のないユンに、メイは縋り付いた。
手早くグレミオがユンの容態を診る。肩にかすり傷を負っているだけで、それほどひどい怪我ではない。しかし顔色の異様な白さと戻らない意識が気になった。
「坊ちゃん、これはひょっとしてムカデの毒にやられたのかもしれません。早く医者に見せましょう」
「分かった。すぐに戻ろう」
彼らはユンを連れて、元来た道を急いで帰った。
ユンが大ムカデの毒にやられたと聞くと、ユンの母親は床に崩れ落ちた。メイの母親も真っ青になりながらもユンの母親を支える。村人たちも痛ましそうに目をそらした。
「ここから一番近い医者はどこですか？」
村人たちの様子がおかしいことに気付きながらも早く解毒剤を飲ませた方がいいと判断し、ジョウイは尋ねた。
「無駄じゃよ」
「…………え？」
顔を背けている村長に聞き返す。
「無駄だと言ったんじゃよ。ユンはもう助からん」
「助からないって………どういうこと！？」
ナナミは村長の言いぐさに、思わず声を上げた。
「言葉通りの意味じゃよ」
動じた風もなく、村長は淡々と言った。
「だから、どういう意味なんですか？」
そっけない物言いにムッとして、エイリは一歩前に出た。
村長は吐息を一つ吐いた。
「ここらの大ムカデの毒は特殊でな。生半可な解毒剤では効かんのだよ。唯一、あの霧竜山に生えとると言われている薬草だけが治せるという言い伝えだが………今まで採りに行って戻ってきた者はずーっと昔に唯一人いただけじゃ」
「でもでも、一人は戻ってきたんでしょ！！」
ナナミは必死に反論したが、村長はあっさりと首を振る。
「８０年くらい昔に、たった一人だけな。だが、その一人も化け物に付けられた傷のせいで一日とたたないうちに死んだそうじゃ」
何も言えずに、全員が黙り込んだ。
ユンのそばに座ったメイから、すすり泣きが漏れる。
「ユン……ユン、死んじゃやだ……。ユンがいなくなっちゃイヤだよぉ……」
村人の誰一人として、メイにかける言葉を持つ者はいなかった。
エイリはその光景を硬直して見ていた。幼なじみを失いたくなくて泣いているメイの姿に、過去の自分の姿が重なった。ナナミが……そしてジョウイが倒れたあの時の自分に……。
「エイリ、どうかしたのかい？」
ジョウイは急に表情を堅くした幼なじみの少年が心配になり、声をかけた。
「ジョウイ……ナナミ……」
大切な……何より大切な幼なじみと姉がちゃんとそこにいることを確かめるように、エイリは両腕で彼らに抱きついた。
「……どうしたんだい？」
「どこか痛いの？？」
抱きつかれたまま、ジョウイもナナミも心配げにエイリの顔を覗き込む。
「ううん、なんでもない。それより、早く行こう」
エイリは彼らにまわした腕をはずし、ジョウイに目を向けた。
「え………？」
急に言われてジョウイはとまどう。何を言われたのか、とっさに判断できなかった。
「薬草を取りに行くんだろ？ だったら早いほうがいいよね」
「……どうして分かったんだい？」
「それくらい分かるよ。だてに幼なじみやってるわけじゃないって！」
「………それもそうだね」
ジョウイはフッとどこか嬉しそうに微笑んだ。その表情が何とも言えないとびきりの笑顔で、ナナミは一瞬言葉を失った。
（うっわ〜〜〜〜〜、やっぱりジョウイってば美人だよ〜〜〜。小さい頃から見慣れているはずなのに、見とれちゃうんだからさ。）
隣りに目をやると、可愛い彼女の弟も心なしか頬を赤くさせて困ったように視線をさまよわせていた。彼もジョウイの顔は見慣れているはずだったのだが、久しぶりに見た”極上の笑顔”というものには免疫がなかったらしい。
（でも、ジョウイのあんな笑顔を見れるのは今のところわたしとエイリだけだよね。そこんところは自慢しちゃうな。エイリの特別な笑顔を見れるのもわたしとジョウイだけだし。……いつかエイリにもジョウイにも、それにわたしにも”特別な誰か”ができるかもしれないけど……）
けれども、彼女は確信していた。
自分に彼ら以外の大切な人ができ、弟や幼なじみに特別な人ができても、自分が彼らに注ぐ愛情は変わらない。たとえどんなに遠くにいても、距離なんか問題じゃない。
（もちろん、近くにいるに越したことはないけど、そうもいかないかもしれないしね）
未来はまだ分からない。しばらくはこうやって３人で旅を続けるだろうが、旅はいつか終わるものだから。
（だけど………）
ナナミは目を閉じた。
大丈夫。
彼女は心の中できっぱりと呟いて、瞼を開いた。
目を開くと、エイリの態度を訝しんでいるジョウイと何とも説明できずにあたふたしているエイリの姿が目に映った。
二人とも、大事な家族なのだから。絶対に大丈夫。
ナナミは二人の姿を見ながら、にっこりと微笑んだ。
「そうと決まったら、さっそく出発しよ！ セイさんたちはどうする？」
くるりと明るく振り返る。
「ここまできたんだから、最後まで付き合うよ」
「はい。旅は道連れと言いますしね」
「………グレミオ。それは少し意味が違う」
「おや？ そうでしたかねぇ」
あくまでにこにことグレミオは応えた。
息の合ったやりとりに、ナナミは内心（セイさんたちも十分仲がいいと思う……）と呟いた。
「お前さんたち、また霧竜山へ行くのかね」
やりとりを聞いていたらしい村長がいつのまにか側に寄っていた。
「薬草は霧竜山の洞窟の中にあるという。そこは古代遺跡となっていて、罠がたくさんあったという話じゃ。これを持っていくといい。何かの足しになるじゃろ」
村人たちが進み出て、エイリたちにおくすりやら食料やらを渡した。
「霧竜山は危険な場所じゃ。気を付けてな。……ふがいないわれらですまない……」
背中を向けたまま、村長は言った。
村長の判断は、長として当然だろう。戦闘のプロでもない村人たちがモンスターの徘徊する場所に行けという方が無茶なのだ。より多くの命を救おうとするため、少数の命を見殺しにする選択しかない時の胸の痛みと罪悪感と自己嫌悪はジョウイも……そしてエイリにもセイにも覚えがあるのだろう。彼らに村長を責める気持ちはなかった。
ジョウイは己の右手を強く握りしめた。今まで多くの命を犠牲にしてきた自分には、この行為は偽善でしかないかもしれない。だが、偽善だろうと何だろうと、今は目の前で傷ついて苦しんでいる者を見捨てることができなかった。
「……行ってきます」
ただ一言だけ残し、ジョウイたちは再び霧に包まれた霧竜山へ向かった。