霧の迷宮 〜 The maze of mind 〜



(2)
 ユンが倒れていた場所に洞窟があったのを思い出し、ジョウイたちは最小限の戦闘のみを行い、洞窟の中へと入っていった。
 洞窟の壁はよく見ると人工的なもののようだった。”罠がある”という村長の忠告があったため、慎重に洞窟内を奥へと進む。
 行く手を阻む狼の群や不気味なモンスターを倒しつつ進むと、三叉路に出た。先は右と左、二方向に分かれている。
「どうする?」
 セイはエイリたちに問いかけた。
 全員、一緒に行動した方が安全に決まっているが、ことは急を要す。今までの敵の強さを鑑みて、エイリは二手に分かれても問題ないだろうと判断した。
 そのことを提案すると、全員賛成した。
「では、僕とエイリとナナミが左、セイさんとグレミオさんが右をお願いします。先に見つけた方がここと、念のため洞窟の入り口に印を付けておくということでいいですか?」
 ジョウイが全員の意見をまとめる。
 先に見つけた方が、もう片方の組を待たずに村に薬草を届けることにした。
 決まるとなると後は早い。彼らはすぐにそれぞれの道へ進んでいった。
 ジョウイたちはいくつかの罠を避けて慎重かつ迅速に進む。
「ナナミ、大丈夫かい?」
 何度目かの戦闘の後、ジョウイが後ろを振り返る。
「これ、くらい、平気平気! 早く、先に、進もう!」
「でもナナミ、息が切れてるよ」
「余計なことを言うのはこの口かなぁ〜〜?」
 ナナミは素早くエイリの頬を両手でつねった。
「い、いひゃい、いひゃいっふぇえ!」
「この辺で休憩しようか。僕も少し疲れたし、そろそろ栄養補給しないと」
 絶妙のタイミングでジョウイが助け船を出す。
「それもそうね。じゃ、お弁当を食べましょ。せっかく作ってもらったし♪」
 喜々としてナナミはバスケットを取り出した。
「…………ホント、乱暴なんだから………」
「エイリ、何か言った?」
 顔だけをエイリの方に向け、迫力の笑顔を浮かべる。
 この姉は最近とみにいろんな意味で強くなっていると感じるのは気のせいだろうか。
 心なしか、エイリの頬が引きつった。
「なんにも言ってないよ! あ、このおにぎりもらい!」
 エイリはバスケットにつめられた三角おにぎりを1つ取る。
「ああっ、ずるい! わたしも狙ってたのに〜〜。じゃ、こっちをもらうね!」
 そう言いながら、俵型のおにぎりを取った。
「僕はこれをもらおうかな」
 ジョウイは海苔を巻いたおにぎりを取った。
「う………すっぱ〜〜〜。これ、梅干しだ」
 あまりの酸っぱさにエイリは目をつむる。
「わたしのはおかかだったよ」
「僕のは昆布だ。おにぎりの中身は形で分かるようにしてあるみたいだね。……エイリ、ほっぺたについてるよ」
「あ、ごめん」
 ジョウイはエイリの頬と口元についたご飯粒をぐいぐいと指で取り、そのまま自分の口の中に入れた。
 あまりにも自然だったのでその光景を見てもナナミは何も思わなかったが、しばらくして「ん?」と何かが引っかかった。
(……これって、家族か恋人にしかしないことなんじゃないかなぁ。でもジョウイは家族も同然だし。エイリも気にしてないみたいだし。……ま、いっか)
 果たして、それで納得して良いのだろうか。仲がいいのも程があるよーな気がするのだが。
「あれ、ナナミのほっぺたにもついてるよ。姉弟して食べ方が似てるんだね」
 ジョウイに言われて、ナナミは慌てて手を頬にやる。
「ええ、どこどこどこ?? ね、ここらへん? それともこっち??」
「ぜんぜん違うよ……ほら、取れたよ」
 ひょいとナナミの頬についていたご飯粒を取ると、なんでもないように口に入れる。
「あ、ありがと、ジョウイ」
 ナナミはにこにこと礼を言った。
「どういたしまして」
 ジョウイも笑顔を返す。
 彼の幸せそうな微笑みは、ナナミも幸せな気分にしてくれた。
 先ほどの彼の行動に、砂粒ほどの疑問も生じないらしい。……彼女らしいといえば彼女らしいが、年頃の娘がこれでいいのかという言及は控えさせていただく。
「ぐ………」
 急にエイリが喉を詰まらせた。
「エイリ、大丈夫かい!?」
 慌ててジョウイはお茶をくんで飲ませる。お茶で何とか飲み込んだようだ。
(うーん、相変わらずマメなタイプだわ。美人だし、賢いし、強いし。ただ頭が良すぎるせいか考え方が後ろ向きだったり精神的に脆い面があるけど、幼なじみの欲目を引いても将来いい男になること間違いなしだもんね! 惜しむらくは……恋愛対象に逆立ちしたってなりえないことだわね)
 そう考えながら卵焼きに手を伸ばす。
 彼女にとってジョウイはあくまで大切な”家族”なのだ。
(塩加減が絶妙だけど、弟の卵焼きの方が美味しいかな)
 ナナミは口にした卵焼きを無意識にそう評した。
 彼女の弟が味音痴のナナミの好みを熟知しているだけだとは、夢にも思っていないようだ。
(いい男と言えば、うちの弟もなかなかよねー)
 楽しそうにウィンナーを食べながら、ジョウイとじゃれあっている弟に目を移す。
 ちょっと猿っぽいけどいろんな場所で”可愛い”と言われるだけあって、彼女の弟は可愛らしい容姿をしていた。そのくせ、他の誰よりも強い。しかも料理だけでなく家事一般も得意だし、踊りだって釣りだって何でもすぐこなせていた。唯一、モグラ叩きだけは苦手なようだったが(笑)
 お婿さんとして自信をもって勧められる自慢の弟だ。事実、同盟軍時代でもとてもモテていた。
(血は繋がってないけど、エイリはわたしの大切な弟。それは変わらないもんねー)
 うんうんと頷きつつ、鳥の唐揚げをつまむ。
(いろいろあったけど、3人で一緒にいられるようになって、本当に良かった!)
 幸せに浸りながら、ナナミはジョウイが彼女のために取り分けてくれた果物を口に運んだ。


 食事の後片付けを済ませてから、彼らは再び武器を手に前に進んだ。
 ランプで行く手を照らしながら慎重に洞窟内を歩く。
 ふと、エイリの後ろを歩くジョウイは、先の方の床の色が微妙に違うような気がしてエイリに声をかけた。
「エイリ、そこの床、なんだかおかしいから気を付け……」
「え?」
 声を掛けたときにはすでに遅く、エイリはその床の上に体重を乗せていた。その瞬間、床がガクンと落ち、向こう側の床が上に跳ね上がった。
「エイリ!!」
 ジョウイはエイリの腕を掴み自分の方に引き寄せると、その反動を利用して後ろに押しやった。エイリの代わりにジョウイが床に吸い込まれる。
「ジョウイ!!!」
 ナナミが悲鳴を上げた。だがジョウイの姿が床に消えたかと思うと、床は大きな音を立てて元に戻った。
 フラフラとエイリはジョウイが落ちた床の上まで歩いて座り込んだ。しかし、今度は罠は作動しない。一度だけ作動する罠だったようだ。
「ジョウイ……ジョウイ……ジョウイ! ジョウイ!!」
「エイリ、しっかりして!!」
 手が傷つくのも厭わず床を叩き続ける弟を、ナナミは渾身の力を込めて引き剥がした。
「だって……ジョウイが……」
 うつろな瞳に浮かんだ狂気の色に、ナナミはハッと胸を突かれた。
 自分たちを失う恐怖を覚えた弟は、こんなにも脆い。そうしたのは自分とジョウイなのだ………。
「助けに行こうよ」
 気力を奮い立たせ、ナナミは弟に言った。
「ナナミ……」
「きっとジョウイはわたしたちのことを待ってるよ。だから、早く迎えに行かなくっちゃ!」
「……………うん!!」
 みるみる生気を取り戻した弟に、内心ホッとしながら先へ行こうと促した。
(ジョウイ……わたしたちの犯した罪はこんなにも深いんだよ。でも、3人で一緒にいれば、いつか癒せるよね。だから、絶対無事でいてね!!)
 前を走るエイリの背中を見ながら、彼女はそう祈った。


「良かったですねぇ。エイリくんとナナミさんの望み通り、ジョウイくんと一緒にいられるようになって」
 グレミオはしみじみと言った。
 同盟軍の本拠地へは行かないまでも、セイを迎えに来るたびにやつれて表情をなくしていくエイリの姿に心を痛めていたのだ。あんなに明るく幸せそうに笑う彼を見たのは初めてだった。
「そうだな。エイリが僕のようにならなくて、本当に良かった」
 セイは自分の右手に宿っている真の紋章をグローブ越しに見ながら微笑む。
「力を貸した甲斐があったよ。あの戦争でまた多くの魂を掠め取ったんだろうけど、こんな紋章でも役に立てたな」
「坊ちゃん………」
 グレミオは痛そうな目でセイを見つめた。
「ああ、そんな顔するな。別に卑下しているわけじゃない。先の戦いではあんな結果になってしまったけど、後悔はしていないから」
 静かに語るセイの瞳は、静かな湖面のようだった。
 先の『門の紋章戦争』で、セイは解放軍のリーダーだった。
 前解放軍のリーダー・オデッサは、子供をかばって亡くなった。
 ”ソウルイーター”の前の持ち主で彼の親友だったテッドは、セイを守るために魂を”ソウルイーター”に喰わせた。
 彼の父親は敵対する帝国の将軍として彼と対決し、一騎打ちの果てに死んだ。
 唯一、彼を守るために自らを犠牲にしたグレミオだけが戻ってきたが、彼は多くの大切なものをなくし過ぎた。
 これ以上”ソウルイーター”の犠牲者を増やさないために、セイは旅に出た。そして、大切な者を作らないようにして生きている。一時グレッグミンスターに逗留したのは、かつての自分と同じ立場についたエイリのためだけだった。
 エイリは自分とは違い、大切な者をその手に引き寄せることに成功した。
 そのことが素直に嬉しかった。かつての自分が進んだ道を、エイリには決して辿って欲しくなかった。エイリの望みが叶ったことで、自分の心も少しだけ軽くなったような気がした。
 そして最近考えるのだ。”ソウルイーター”は生と死を司る紋章だ。”死”についてならさんざん見てきたが、”生”とはどういうことなのだろう。いつか、その本当の意味が分かる日が来るのだろうか。
 そんな漠然とした希望のようなものを抱いていた。
「おや? ここから先は行き止まりのようですよ」
 グレミオの言うとおり、行く手には壁があるのみだった。
「この手の遺跡にはからくりが多い。念のため、探ってみよう」
 セイたちはその周辺の壁を丹念に調べてみた。
「これだけ色が違うような気がしますけれど……気のせいでしょうかねぇ」
 壁の一ヶ所だけ色が薄くなっている部分を見つけ、グレミオは手で触れてみた。
 どこかでガチャリと何かが動いた音がする。
「あれ? 何も起きませんねぇ。気のせいでしたか」
 グレミオは、ふう、と近くの壁に寄りかかった。とたんにガタンと壁が向こう側に倒れる。
「ええ!?」
「グレミオ!!!」
 叫び声にセイが振り返ると、ちょうどグレミオが壁に吸い込まれ、バタンと壁が元通りになる瞬間だった。それと同時に行き止まりだった壁がせり上がる。
「…………あの馬鹿!!」
 ガンと右手を壁に打ち付ける。
 セイは怒りに燃える瞳で先に進んだ。


 闇の中で彼の大切な幼なじみの少年が、自分の名を呼びながら床に手を打ち付けて泣いている。
 手が血で滲んでも、床をたたきつける手を止めない。
(泣かないで、エイリ……………僕は大丈夫だから。ずっと君のそばにいるから。だから…………)
 急速に意識が浮上し、ジョウイは目を開いた。しかし暗闇に包まれ、自分がどこにいるのかさえ分からない。
 そっと手足を動かせてみると、かすり傷だけで済んでいるようだ。
(不幸中の幸い、ってところかな………)
 闇に目が慣れると、どこかの閉鎖された空間だということが朧気ながら分かった。身体を起こして上を見ると、自分が倒れていた壁の真上にぽっかりと穴が見える。どうやらそこから落ちてきたようだ。
(あれからどれくらい時間がたったのだろう。エイリもナナミも、きっと心配しているだろうな……)
 チラッと先刻見た夢を思い出す。
 狂気の色に染まりかけていた幼なじみの少年の瞳。あの光景は現実のことなのだろう。少年と離れていた戦いの間、何度か彼のことを夢で見た。紋章を通して、映像と音が伝わるらしい。少年の心が傷つくたびに自分の胸も痛んだが、それでも前に進むしかなかったあの頃。挙げ句の果てに、最も残酷な選択をさせようとした。
(よくよく罪深いよね、僕も……)
 自嘲が口元に浮かぶ。
 しかし、後悔はしていなかった。否、するつもりもなかった。
 あのときの自分は、あの道しか選べなかった。卑怯でも汚くても、それが彼の選んだ道だった。後悔することは、その間に切り捨てた人たちまで貶めることになる。そんなことを認めることなどできない。己の流した血の色も、他者を陥れた罪の深さも、何もかも決して忘れない。今も、罪の意識に押しつぶされそうだ。だが………。
 エイリとナナミが自分を必要としてくれる限り、自分が必要とする誰かがいる限り、生きていたいと思った。そして願わくば、エイリとナナミのそばにいたい。それが自分の今の望み。
(また……置いて行っちゃったし……エイリもナナミも怒っているだろうな……)
 かつて何も言わずに出ていったことを泣きながら怒っていた姉弟の姿が目に浮かび、ジョウイはふんわり微笑した。
 と、右上の方から、何かが滑り落ちるような音がした。そちらに目を凝らすと、ドサッと落ちてきた。どうやら人のようだ。ジョウイはとっさに身構えた。
「……………ったたたたた………。受け身は苦手なんですよね〜〜」
 その人物はよろよろと上体を起こした。
「グレミオさん?」
「その声はジョウイくんですか?」
「はい。もしかして、グレミオさんも罠に……?」
「まあ、そんなところです。……ちょっと待ってください。今、予備のランプをつけますから」
 ほどなくランプの灯りがつき、グレミオはランプを片手にジョウイの隣りに座った。
「参りました。いまごろ坊ちゃん、怒っているでしょうねぇ」
「セイさんが……怒るんですか?」
 いつも冷静に見えるセイが怒るところなど、ジョウイには想像できなかった。
「ええ、坊ちゃんは優しいですからね。心配してすぐ怒るんですよ。今日は私の不注意でしたから、仕方ないですね〜。帰ったら美味しいシチューを作って許してもらいましょうか」
 そう言いながらにこにこと笑っている。
「僕も絶対にエイリとナナミに怒られます」
「ジョウイくんもですか?」
「はい。エイリの身代わりに落とし穴に落ちてきたので」
「それは………かなりまずいことをしましたねぇ」
 グレミオは首を振った。
 そのセリフにジョウイは驚いた。この人は自分たちの間に起きたことを知っているようだ。
 疑問が顔に出ていたのか、グレミオが答えてくれた。
「エイリくんやナナミさんからジョウイくんのことはよく聞きましたよ。さすがにお城でジョウイくんのことは話せなかったのでしょうね。『敵だけど、今でも大切な親友だ』ってよく言っていましたよ」
「エイリたちがそんなことを………。元はといえば、こんな運命に巻き込んだのは僕のせいなのに……」
 ジョウイは何となく泣きたくなった。大切な大切な幼なじみたち。何度も刃を向けたのに、それでも信じていてくれた。
「さて、これからどうしましょうか。あっちに出口があるみたいですけど、行ってみますか?」
 ランプをかざし、向こう側の壁を照らした。
「……へたに動かない方が良いと思います。多分、エイリたちの方がこちらを見つけてくれるのを待った方がいいでしょう」
「そうですね。坊ちゃんもおそらく探してくれているでしょうし。……そうと決まったら、少し昔話をしましょうか」
 グレミオはランプを床に置いた。ランプの灯りが周囲を淡く照らす。
 ここはかつて酸が溜められていたのだろう。ところどころに骨のかけらやボロボロになった金属片などが落ちていた。
 ほとんど原型をとどめていないとはいえ、こんな所に止まろうというグレミオとジョウイもただ者ではない心臓の持ち主だ。
「昔話……ですか?」
「はい。『門の紋章戦争』のことはご存じですか?」
「まあ、多少は……。セイさんがリーダーとなって解放軍を組織し、赤月帝国を滅ぼして今のトラン共和国を作ったのですよね」
「そうです。始まりは……坊ちゃんがお父上と一緒に皇帝陛下に挨拶に行ったあの日でしょうか……………」
 グレミオは語った。セイの歩んだ歴史を。
 解放軍前リーダー・オデッサの死。セイたちを助けるために、やむ終えず自分が犠牲になったこと。セイと実父との戦い。親友の死。それは壮絶な運命だった。
「坊ちゃんは、本当は戦うのは好きじゃないんですよ。でも、あまりにも優しすぎるから、赤月帝国の腐敗を、民の叫びを無視できなかっただけです。今も旅を続けているのは、なるべく人と関わらないように、”ソウルイーター”の犠牲者を出さないようにと考えているからでしょう。でも、私はもっといろんな人と関わって欲しいんですよ。人間は一人では生きていけませんからね。……坊ちゃんが人を避けるようになったのは、私にも一因があるのですが………」
 大きく息を吐く。
「グレミオさんにも?」
「ええ。私も一度は坊ちゃんを置いて逝ってしまいましたから。でも生き返って坊ちゃんを見たとき、心の底から後悔しました。あのとき、何が何でも他の方法を見つけて生き続けるべきだったと。私の死がきっかけで、坊ちゃんは無理に大人になりました。本来ならもっと緩やかに成長しなければならないのに。ですから、決して命を粗末にしないと誓ったんですよ。せめて、側にいて見守りたいと思っていますから」
 淡々と語るグレミオの顔を、ジョウイは黙って見ていた。そして前を向く。
「僕も……エイリとナナミを置いて行きました。理由はいろいろあるけど、きっとあの二人だけにはどんな汚い手でも使える僕の姿を見せたくなかった。だから、最後まで一緒に行こうと言わなかった。本当はこの紋章をエイリに渡して死ぬつもりだったんです」
 ジョウイは右手に宿る”黒き刃の紋章”を掲げて見た。
「それはダメですよ。そんなことをしたら、エイリくんもナナミさんもとても悲しみますよ。あなたはあの二人にとって必要な人なんですから」
 グレミオは力強く断言した。
「そう……でしょうか……」
「そうですとも。私はあのお二人のあんなに幸せそうな笑顔は初めて見ました。あの笑顔は、ジョウイくんが浮かべさせているんですよ。自信を持ってくださいね」
「…………はい」
 ジョウイは素直に頷いた。グレミオは不思議に、人を素直な気持ちにさせる雰囲気を持っている。
「うーん。まあ、ジョウイくんの気持ちも分からないでもないですね。きっとそれしか方法がないときは、私も坊ちゃんを優先するでしょうから。『そんなことをしても嬉しくない』って怒られるでしょうけど、こればかりは仕方ないですねぇ」
「僕も最後の選択で僕の命とエイリたちの命を秤に掛けたら、迷いなくエイリたちの方を選ぶでしょうね。さっきもとっさだったからつい身体が正直に反応しただけですし。………泣かせるって分かっているんですけど」
 苦い笑みを浮かべる。
「かなり身勝手ですよねぇ」
「独善的ですよね」
 二人は顔を見合わせ、プッと吹き出す。
「グレミオさん、さっきセイさんの交友範囲を広げたいって言ってましたよね。とりあえず、僕たちと交友を深めませんか? 僕もエイリのことが心配だったんです。僕を必要としてくれるのは嬉しいけど、僕がいなくなったらちゃんと生きていけるかどうか心配だなんて問題有りでしょう? 以前は僕がいなくても大丈夫だと思っていたけど、とんでもない間違いだって分かったので、なんとかしたいんですよ」
「親交を深めるのは大賛成ですが、『ジョウイくんがいないと生きていけないかもしれない』というのは絶対に直らないと思いますよ。だって、ジョウイくんだってそうでしょう? それに、ジョウイくんを取り戻すためにリーダーでいた節がありますからねぇ」
 何があっても絶対に離さないと思いますよ。
 グレミオは断言した。人生経験を重ねている分、グレミオの方が観察眼に優れているようだ。
「離れるつもりはないですけど……………」
「”死ぬときは一緒”くらいの覚悟でいたほうがいいですよ。エイリくんはナナミさんに対しても執着をもっていますが、いつかお嫁に行くんだろうなと思っているようですし」
「ナナミには………幸せになってもらいたいと、心から思っています。今まで心配掛け通しだったから。……エイリは……エイリが望む限りそばにいるつもりですよ」
 ジョウイは柔らかい微笑を口元に浮かべた。
「そうですか…」
 それならきっと”一生”でしょうね、とグレミオは心の中で呟く。
「そういうグレミオさんはどうなんですか?」
 逆に問い返されて、グレミオは言葉に詰まる。
「ええっ、私ですか? ………うーーん。私としてはずっと坊ちゃんのおそばにいたいと思っていますが……。坊ちゃんは”真の紋章”の主ですからねぇ。私もいつまで生きていられるか分かりませんし。でも、可能な限りそばにいるつもりですよ」
 彼らにとってそれはずいぶんと残酷なことなのだろうが、グレミオは笑顔で言い切った。彼の心の中では、すでに覚悟していることなのだ。
 ジョウイは言うべき言葉が見つからず、ただ沈黙した。
 彼も自分も、迷宮の中にいる。大切な人を傷つけたくないと願いながら、”その時”が来れば傷つけることが分かっていて自分の身を犠牲にすることに何らためらいを覚えないだろう。
 グレミオの方が更に深刻だ。時が彼らを隔てるのだから。
 それでも彼らは幸せだった。自らの命よりも大切な人たちと出会うことができ、一緒にいられるのだから。
「しかし、坊ちゃんたちはいつ私たちを見つけてくれますかねぇ」
 グレミオは話題を変えた。
「そんなに待たなくてもいいと思いますよ」
「どうしてですか?」
 ジョウイは不思議そうな顔で聞き返したグレミオに、右手の『黒い刃の紋章』を見せる。ジョウイの右手の甲の上で、それはほのかに輝いていた。
「ほら、紋章が片割れに反応しているでしょう? これを頼りにエイリが見つけてくれるはずですから」
 絶対の確信を持って言う。
「なるほど。本当にエイリくんとジョウイくんは『対』なんですねぇ」
 グレミオは感心して何度も頷く。
 『黒い刃の紋章』は片割れを呼ぶように、淡く輝き続けていた。


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