雪の花


1.
「あら、レニ。こんな日に、外に出かけますの?」
扉に手を掛けようとしたところをすみれに呼び止められ、レニは振り返った。
「うん、ちょっと散歩」
「散歩って………こんなに雪が降っていますのに」
呆れ混じりの声音に、少し困ったように微笑む。
ラジオでも言っていたが、外はこの冬一番の寒さで、しか初雪まで降り積もっていた。
実際、散歩するのには最適とは言えない気候である。
「なんとなく、雪の中を歩きたくなったんだ」
「そうですの………」
すみれはふんわりと微笑を浮かべた。
出会った頃はまるで戦闘マシンのようだった彼女が僅かなりとも感情を表し、まわりの風景に目を向けられるようになったことが、すみれなりに嬉しかったのだ。
すみれにとって、レニは大切な仲間なのだから。
「でも、そんな格好では風邪を引いてしまいますわよ。…………これを差し上げますから、気を付けて行ってらっしゃい」
自分が肩に掛けていた薄紫色の肩掛けをはずし、ふわっとレニの身体をくるむ。
「あ…………ありがとう」
なんとなく苦手意識を持っているすみれに優しくされ、レニは戸惑いつつも礼を言った。
「そんな格好のままでは、見ているこちらが寒くなってしまいますわ。礼を言う必要はございませんわよ。それでは、ごきげんよう」
すみれはさっさと立ち去った。
なんとなく照れ隠しに逃げただけのような感じがして、くすっと笑みが漏れる。
少しずつだがすみれの性格が分かってきて、素直に言えない彼女に暖かい何かを感じたのだ。彼女の思いやりが、なんだか嬉しい。
再び扉に手を掛け、外に出るためにゆっくりと開いた。
とたんに視界に入る銀座の街は白い雪化粧を施され、いつもとは違う顔を見せていた。
建物や通りはもちろん、街灯にまで雪が積もっている。
道行く人々も、寒そうに身を縮こまらせて早足で通り過ぎる。
そんななかでも子供はやっぱり元気で、楽しそうにはしゃぎながら走り去っていった。
ふと、劇場で飼っている白い犬のことを思い出して、レニはまた笑みをこぼした。
彼女の友人である犬は、子犬だった頃は元気に外で転がっていたくせに、最近はちゃっかり暖炉の前を陣取っている。
好きな人たちのことを思うだけで心が温かくなる。
それがとても不思議で、幸せで。
帝都に来るまで、幸せということがどういうことか知らなかったから、尚更だった。
通りと路地をいくつか抜け、やがて小さな教会にたどり着いた。
表通りは雪で人がいつもより少なかったとはいえ、ここに比べればずいぶんと賑やかだった。
それほどこのこぢんまりとした教会は、ひっそりと建っていたのだ。
いつものように中に入ろうとして、ふと大神とここを訪れたときのことを思い出した。
帝劇でのクリスマス公演のあと、二人だけでここを訪れ、初めてお祈りをした。その時のことは、今でも鮮明に覚えている。
レニの心の中で、大神は大きな位置を占めていた。それだけに彼の不在は心に大きな穴が空いたようで、時々たまらない気持ちになる。
寂しいとか悲しいとか、そういう感情を大切な人と離れて初めて知った。
切ない、という言葉の意味も、初めて理解できたように思う。
花組のみんなも大切だったが、彼女たちでは埋められない何かが存在することが、確かにあるのだ。
(ここに来るまでは、そんなことは考えてもみなかった…………)
レニは中に入り、祭壇を見上げる。
遠くにいる大神のことを思い、あの時と同じように感謝と祈りを捧げた。
しばらくしてから、教会の外に出た。これから周辺を少し散歩してから帰るつもりでいたのだ。
ふと、出口の階段の端に、白い服を着た子供の姿が目に入った。
毛糸の手袋をはめ、毛糸の帽子を被り、少し大きめの暖かそうなコートを着て、さらに首には毛糸のマフラーを巻いていた。
手袋も帽子もマフラーも全て手編みのようで、お揃いの模様が入っていた。
子供の吐く息は白く、とても寒そうなのに一心に外の方を見つめていた。
誰かを待っているようだ。
ただ、不安そうな、期待しているような複雑な表情に、レニはそのまま立ち去れないものを感じた。
「…………誰かを待っているの?」
近くによって、声を掛けてみる。
女の子は――――その子供は女の子だった――――びっくりして身体を揺らし、レニを見上げた。
もう一度、同じ問いを繰り返す。
「誰かを待っているの?」
「うん。………おねえちゃんはだぁれ?」
不思議そうに問い返され、レニは名乗ることにした。
「ボクはレニ。ここは寒いから、早く家に帰った方がいい」
ここまで寒いと風邪を引きやすくなると考え、忠告も付け加えた。
「ありがとう。でもね、ユキはおかあさんを待ってるの。おかあさん、雪が降るころには迎えに来るって約束してくれたから、だからここで待ってるの」
「そう……………」
レニは少し逡巡したが、子供の隣りに腰を下ろした。
「おかあさんが好きなんだね」
「うん、だーーいすき! おとうさんも好きだけど、おかあさんも大好きなの!」
ユキは本当に幸せそうに笑った。
大好きな人のことを話すとき、誰もがこんなに幸せな表情になるのだろうか。
レニは自然と大神のことを思いだした。
「おねえちゃんこそ、早く帰った方がいいと思う。あのね、女の子は身体を冷やしちゃいけないんだよ。おかあさんが言ってたんだから!」
普段着に肩掛けを巻いただけのレニの格好に、少女は忠告を返した。
そう言われると反論が出来ずに、立ち上がる。
「……明日も、ここにいる?」
「おかあさんが帰ってくるまでは、ここにいるよ。ばいばい、おねえちゃん」
「………さよなら」
小さな女の子に見送られ、レニは教会を後にした。
しばらく行ったところで振り返ると、一心に母を待ち続ける少女の姿が、ぽつんと雪に浮かび上がっていた。



すみれにもらった肩掛けをしっかり巻き、レニは自室を出た。
「レニ、今日も散歩に出かけるの?」
ちょうどマリアと出会い、声を掛けられた。
「うん」
こっくりと頷く。
「でも……今日も雪が降っているわよ。そんな格好では風邪を引くわ。……ちょっと待っていなさい」
マリアは自室に入り、すぐに出てきた。手にはふわふわの帽子を持っている。
「これをあげるわ。昔、私が被っていたものだけど、レニにならちょうど良いと思うの」
そう言いながら、レニの頭に帽子を被せた。
「………ありがとう」
戸惑いながらも、礼を言った。
相変わらず人の親切に慣れていない様子に、マリアは小さく微笑んだ。
「外は寒いわよ。気を付けて行ってらっしゃい」
「行ってきます」
レニは嬉しそうに笑って、階段を下りていった。
「おや、レニはまた散歩かいな」
「最近、よく外に出かけているみたいですね」
廊下の反対側から、紅蘭とさくらがやってきた。
「うふふ、どうやら外に友達ができたみたいよ」
マリアが笑いながら教える。
「そら、ええこっちゃ。レニには同い年の友達がおらへんさかい、ええ傾向だと思うわ」
「紅蘭、同い年とはまだ決まってないわよ。……なんにしても、レニに友達が出来て良かったわ」
紅蘭もさくらも、笑顔で喜んだ。
年下の仲間の成長を、3人は心から応援していたのだ。
自分たち以外に世界が広がったことを少し寂しく思いながらも、嬉しく思っていた。それが彼女のためであると理解していたからだ。
どこにいようと仲間であるという強い信頼で、彼女たちは結ばれている。それが花組なのだ。
一方、食堂を通り過ぎたところでレニはカンナに出会った。
「よう、レニ。今日もお散歩かい?」
相変わらず、カンナはおひつでご飯を食べていた。あれだけのトレーニングを積めば、その食事の量は納得できる。
「うん」
いつものように、簡潔に返答した。
「最近よく出かけるが、友達でもできたのかい?」
「ともだち………? うん、たぶん」
そう言いながらも、レニの顔を嬉しそうだ。
カンナも嬉しくなって、手招きをした。
顔に「?」を張り付けて、レニは素直に近寄る。
「ほら、これをやるよ。ファンの子供たちからもらったんだが、あたいは甘いものより腹に溜まるもののほうが好きだからな。友達と一緒に食べな」
チョコレートの入った箱をレニに手渡した。
「………ありがとう、カンナ」
レニは笑顔をカンナに向けた。
「いいってことよ。さ、早くいきな。友達が待ってるんだろ?」
「うん。じゃあ」
足早に外に向かって行ってしまった。
カンナはそれを見送ってから、目の前の食べ物の山を再び攻略し始めた。




少し駆け足で教会に到着すると、小さな女の子はいつものように階段の端に座っていた。
「ユキ、こんにちは」
「こんにちは!」
ぱーっとユキの表情が輝く。
毎日通う内に、自然と仲良くなっていたのだ。
「これ、カンナからもらったんだ。一緒に食べよう」
チョコレートの箱を開けて、ユキに差し出した。
「ありがとう。カンナって、とても強いけど優しい人だったよね。……あっ、その帽子はどうしたの? よく似合ってるよ、レニ!」
「ありがとう。マリアにもらったんだ」
「よかったね! そのままじゃ、レニ風邪ひいちゃうもの。このチョコレートもおいしいよ。ユキの分のお礼もいってね」
「うん、言っておくよ」
二人は仲良くチョコレートを半分ずつ食べた。
相変わらず雪がちらついているため寒かったが、二人でお喋りをしていると気にならなかった。
「おかあさん、はやく来ないかな………」
ぽつりとユキが呟く。
「……おかあさん、どうしていなくなっちゃったの?」
なんとなく訊けないでいた理由を、レニは思い切って尋ねてみた。
「おかあさんね、オーストリアっていう国の人なんだって。おとうさんは日本の人だから、いっしょに日本にきたの。でも、おかあさんのおかあさんが大変なことになって、帰らなきゃならなくなったんだって。ユキもいっしょにつれていきたかったけど、危ないからダメなんだって」
「……危ないって?」
「せんそうをしているからなんだって」
「戦争………?」
「ユキが大人だったら、絶対に会いに行くのになぁ……」
残念そうにため息を吐く。
レニは心の中で首を傾げた。戦争なら、とっくの昔に終わっているはずだ。
何かが変だという引っかかりを覚えながら、少女の話を聞き続ける。
「あのね、おかあさんが帰ってきたら、レニにもケーキを食べさせてあげるね。おかあさん、ケーキを作るのがとっても上手なんだよ!」
「うん。そのときはよろしく」
それから二人は他愛もない話をして、いつもの通り別れた。
いつまでも教会の前で母を待ち続ける少女を振り返りながら、レニは先ほどの引っかかりの糸口を掴もうと心に決めた。


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